キズナと蛍の物語 Story
Story 目次
  • ◆#05――救出
  • ◆#06――護衛
  • ◆#07――回収
  • ◆#08――制圧
  • ◆#09――死闘
  • ◆エピローグ
キズナと螢の物語 ストーリー プロローグ
Story 目次
  • ◆プロローグ
  • ◆#2-01 —仮初の襲撃
  • ◆#2-02 —結晶化現象
  • ◆#2-03 —既視感ある強襲
  • ◆#2-04 —監視されている?
  • ◆#2-05 —帰りたくない
  • ◆#2-06 —由故と暴走
  • ◆#2-07 —葛藤、惟う友朋
  • ◆#2-08 —13年前との決別
  • ◆#2-09 —繁殖する恐怖
  • ◆#2-10 —最終決戦
  • ◆エピローグ
キズナと螢の物語 ストーリー プロローグ
前の話
次の話

PM19:00、水族館。
 12月の日の入りは早い。植物園を出た時はすでに日は落ちており、夜の帳に包まれた水族館は、どこか非現実な雰囲気を漂わせていた。
 建物前の広場に作戦用ヘリが降り立ち、正義・友凛愛・ジーニーの3人は水族館の前に降り立った。

 創立100年を超えるこの水族館は、かつて展覧会の会場として建設されたのがその発祥だ。その後2回のリニューアルを行い、現在の建物は3代目。初代の水族館ができてから、累計で100年以上の歴史を持つ水族館だった。
 3階建ての建物は、白色の壁にデフォルメされた魚のアートが描かれている。通路の青い屋根が印象的だった。
 正面から2階へ続く階段が正面入場口となっている。建物の脇には屋外水槽やペンギンプールがあり、2階・3階には様々な水槽が展示されていた。
 後方部隊が裏口からの避難を試みており正面口は静かだったとはいえ、建物内からは何かが崩れる音や、人々の悲鳴が時折響いていた。

「お昼に来たばっかなのに、また来るなんてー……」
 友凛愛がぼんやりと呟いた。水族館は、遊園地から道を挟んで反対の場所にあり、後ろを振り向けば遊園地の観覧車が見えるのだ。
 昼に壮絶な戦いを繰り広げたはずの観覧車がゆっくりと回っているのを、友凛愛は感慨にふけりながら見上げていた。
「……友凛愛、急ごう」
 正義はずんずんと歩きながら、振り向きもせず言う。
「! ごめん、正義」
 それに友凛愛は跳ねるようにして答える。


 そう。正義の父親が、いま水族館の中で戦いを続けているのだ。
 彼の心に余裕がないことなど、言うまでもなかった。


「正義くん、状況を確認しましょう。最短距離で、彼を救えるように」
 ジーニーが割り込んできてくれたことに、友凛愛は心底安心した。自分一人では、正義の気持ちを受け止められないだろうことは、想像がついていたからだ。
 それに正義は答えなかったが、とりあえず歩みを止めて、ジーニーの方に振り返る。
「まず、水族館のマップを見てください」
 ジーニーは無言を了承と判断して端末を操作し、間取図の立体映像を浮かべた。
 水族館の展示は2階と3階がメインで、2階にはスタンダードな水槽が、3階にはやや特殊な水棲生物の水槽やショー用のステージがあった。
「剣豪・禰宜田 弥九郎(やくろう)が居るのはこの辺りのようです」
 ジーニーが階段近辺を促す。2階と3階を繋ぐ階段は南北に二箇所あり、地図は南の階段近辺を示していた。
「突入しよう」
「そうしたいのが本音ですが」
 正義はためらいなく言うのを、ジーニーは遮って続ける。
「南の階段へ向かう通路は、旧穢神のゲートがその近辺に発生したせいで破壊されており、通れないとのこと。そのため、北の階段から3階に登り、南下して向かうしかなさそうなのです」

 がつっ、と音が響いた。
 正義の拳が近くの壁を打ったのだ。

「……遠回りして、南階段へ向かうしかないと?」
「Das ist richtig.……残念ながら、その通りです」
 睨みつける視線にジーニーは動じず、冷静に返す。
 それに正義は、ぎり、と歯を食いしばったまま、ジーニーを睨みつけたまま、何も返さなかった。
「正義、落ち着いて! 焦っても何も始まらないよ!」
 見かねた友凛愛が叫びにも似た言葉を放つ。正義は殴った壁に体重を預けながら、
「……わかってる」
 とだけ、静かに呟いた。

(……まずいですね)

 ジーニーは内心焦っていた。
 この緊急事態に人手が足りない上に、正義の精神状態が不安定になっている。決して明るい状況とは思えなかったからだ。

(とはいえ——)

 出撃からずっと、支部に増援要請を行なっているが良い返事は来ない。
 今日は朝から旧穢神の出現が多く、支部も明らかに警戒しているのが分かっているからあまり強く言うこともできない。八方塞がりと言うしかなかった。
(正攻法で眼の前のことからひとつずつ進めるしかない……)
 ジーニーは自問自答しながら、脳内で数え切れないほどの計算式を処理してゆく。

(……僕は何故、これほど彼に振り回されているのだろう?)
 彼はふと浮かんだ疑問を振り払うように、ゆっくりと左右にかぶりを振った。とにもかくにも、いまこの場を乗り越えないと、話が進まない。

「急ぎたいのは解ります。ですが、この少ない人数で作戦も立てずに飛び込むのは、勇気ではなく無謀と考えます。……それに」
「え……?」
 ジーニーの言葉の歯切れの悪さに、友凛愛は思わず聞き返してしまっていた。
「……嫌な流れです。朝から連続で五回目の襲撃。あまりにも多すぎませんか?」
「それは確かに……」
「そして、朝に作戦行動を行った場所の近くへの再襲撃。振り回されていると思いませんか?」
 友凛愛はそれをぽかんと口を開いて見返す。
 確かに、朝から北へ駆り出され、先ほどの植物園は県内でも南の方だった。そのタイミングで北側への襲撃。
「そう、ここからは僕の推測ですが、旧穢神たちの目的は他の所にあるのではないかと疑っています。なので、ちゃんと作戦を立てませんか?」
 ジーニーはいつもの口調で、ゆっくりと、かつ滑舌良く、皆の方を振り返りながら提案をすることにした。
「! うん、私も賛成!」
 その言葉に友凛愛は右手をピシッと振り上げ、元気に応える。
 正義は壁に体重を預けながら、何も答えなかった。


「——手伝うわよ」
 突如かけられる、女性の声。
 3人が反射的に入り口側を振り返ると、人影が立っていた。


 紫の長い巻き髪はいわゆる縦ロールと言われる髪型で、腰ほどまでの長さの髪をツインテールにしている。マジシャン用の燕尾服にタイトなミニスカートを着て、小さなシルクハットを被り、胸元には黄色いリボンを結んでいた。手には紫のリボンを巻いたステッキを持っており、手品師を連想させる雰囲気を持っている。
 いやに整った顔立ちで、恐らく日本人なのだろうがそうは思えないほど起伏のある顔つきだ。こちらを見据えるような瞳と、右目の下に貼られたダイヤのマークが印象的だった。

「……この区域に入って来たということは、あなたもグロウリーですか?」
「ええ、そうよ。貴方たちと同じ」
 言って女性は業務的で定型文な微笑みを返し、ジーニーたちに歩み寄る。高いヒールがかつかつと音を立て、通路に響き渡った。
「助力感謝します。僕は頓山支部所属のグロウリーで、ジーニー・シュルツです。あなたは?」
「私は本部所属の……そうね、”デイジー”とでも呼んでくれるかしら。水属性のグロウリーよ」

(”とでも”? なぜ彼女は名前を隠すんだ?)

 ジーニーは違和感をすぐに分析し始める。この口ぶりだと、何らかの理由があり名前を語りたくないと解釈できた。
 しかし、その割にはすぐにばれる嘘をつく。ばれても良い嘘なら最初からつかなければ良いだけだ。
 本当はこの違和感を早く取り除きたいが、正義の状態を考えると詮索に時間を割くのはあまり有益だとは思えない——そう結論づけた。

「デイジーくん、今は時間がないため深くは聞きません。ですが、落ち着いたら色々と話を聞かせてくれますか?」
「あら。さすがはシュルツ家の長男、噂通り有能ね。話が早くて助かるわ」
 彼女の微笑みは、今度は心からの微笑みだった。自分の思い通りにことが進んでいることに対してなのか、それとも本当に素直に喜んでいるのか。分からなかった。
「え? え? 何の話?」
 困惑する友凛愛に、デイジーはにこやかに話しかける。
「友凛愛、初めまして。貴方は確かパティシエールを目指しているのよね? 落ち着いたら、一緒にお茶会をしましょう。最高のお茶と美味しいお菓子をご馳走するわ」
「お茶会! お菓子! やりましょう!!」
 微笑むデイジーに、友凛愛はよだれを垂らしながら飛び跳ねていた。

「……さて、あとは貴方」
 うな垂れたままの正義に向き直って近寄り、彼女は詰問するような口調で続けた。
「正義。あなたは私と同じように、増幅器を使わず覚醒したんだって? 素晴らしい能力を持っていると聞いているわ」
「……」
 正義は直感的に警戒してしまった。
 グロウリーたちにはその話は有名なのかもしれないが、初対面にも関わらず全てを見透かしたような発言に、本能的に警戒していた。
「……お前は何者だ?」
「そんなに睨まないで。単純に貴方たちの力になりたい、一人のグロウリーよ」
「……」
 正義は回答に困り、ただ押し黙っていた。


 ——柔らかい微笑みが逆に胡散臭い。
 そして、その瞳の奥の光。
 無邪気な好奇心にも、肉食獣の鋭い眼光にも、どちらにも見える。


 ――もしくは、そのどちらも兼ね備えた何か——。


「今は時間もありませんし、先に進みませんか?」
 口を開いたのはジーニーだった。
「私も賛成。正義と友凛愛を先頭に、私とジーニーがキズナでサポートしましょう。私はしんがりを務めるから、急いで進めてもらって構わないわ」
「では、そうしましょう」
 デイジーの言葉にジーニーが答える。特に異論はなかったのか、そうではないのか。ジーニーの言葉からは読み取れない。
「はい。では正義くん、友凛愛くん。先にお願いします」
「……ああ」
「はい! 友凛愛、いっきまーす!」
 正義はどこか釈然としないままで刀袋から刀を取り出し、友凛愛は愛用のフォークとスプーンを取り出す。
「キズナよ……!」
 ジーニーが眼鏡を中指で押し上げながら、キズナを放つ。
「さすがね、ジーニー。じゃあ、私も遠慮なく……逝け、キズナよ」
 デイジーが杖を握った手を振り上げると、杖の先端から大量のキズナが発生する。ジーニーのものとほぼ同等の燐光を放っていた。


「正義」
「?」
 デイジーの不意の言葉に、正義は振り返った。
 なぜ呼ばれたのか、この後何が起こるのか、まったく想像できないという顔で。
「どんどん進んでいいのよ。サポートは、私とジーニーが完璧にやってみせるから」
 にっこりと満面の笑みを浮かべるデイジーに、正義は一瞬呆気に取られてしまった。

(わざわざそんなことを伝えるために? 俺を焚き付けてどうするつもりなんだ……?)

 ——目的はよく分からない。
 そこまで考えてから正義は、かぶりを振る。

 だが、デイジーの生み出すキズナはとても輝かしく、後衛のサポートは充分すぎるほど有能であることは分かったからだ。
 そして、その上でわざわざ前衛に「どんどん進め」と言うのだ。

(——面白い)

 正義は得心した。
 デイジーは、こちらを煽り試すことが目的だとしても、道中を急ぎたい今は悪い話ではない。


 それに、剣士としての血筋。
 今まで修行の毎日を過ごしていた時の、向上する楽しさ。
 辛さを乗り越えれば乗り越えるほど、できることが増えてゆく開放感。

 それらが正義の気持ちを動かした。


「分かった、行こう。今日の俺は……ちょっと荒っぽい」
 正義は刀に手をかけながら地面を蹴って、走り出した。向かうは北側の階段。
「あ! 正義ちょっと待ってよ〜!」
 友凛愛がそれを慌てて追いかける。
「さあ、追いかけましょう」
 その後にデイジーとジーニーが続いた。


『正義、お前の剣はまだ甘い』

 正義の中で、いつか言われた父の言葉が繰り返されていた。

(——違う。俺はあれからさらなる修行を経て、強くなった。もっと戦えるようになった)

 脳内に響く虚構に、正義は躍起になって反論する。
 それが何の意味もないことだと分かっていたが、そうしなければ今までと自分が何も変わっていないのだと認めることになるからだ。

(落ち着け……さっき見た白威の動きを取り入れろ……)


「正義!  前方に大量のコモンが!」
 友凛愛の声にはっとなって見上げると、空中に大量のサシガシラが飛び回っているのが見えた。彼らは突然の来訪者に反応し、何やら雑音を喚き散らしながら、こちらに飛びかかってくる。
「——其の壱、雲切之剣(くもきりのけん)」
 正義は静かに呟くと、抜刀しながらの袈裟斬りを放ってから、上段からの振り下ろしを叩きつけてやる。
「! はやっ!」
 見ていた友凛愛が思わず声をあげてしまった。
 先程見たばかりの技と同じなのに、そう思えない。より速く、より洗練されている。
 この短期間での成長に、友凛愛はまるで表情の戻し方を忘れてしまったかのように驚倒した顔のまま、やっと正義に追いついた。もちろん、その頃には大量のサシガシラは紫の煙へと姿を変え、友凛愛のすることが無くなっていることは一目瞭然だ。
「正義……」
「……行こう」
 振り向きもせずに言う正義の背中を、友凛愛は茫然と見ていた。

「……素晴らしい能力ね」
 正義と友凛愛を追いかけながら、不意にデイジーが呟く。
「この緊張感だから、なのかしら。成長速度が早くなった気がするんだけど」
 ここまで言ってから、ジーニーに視線を向ける。その表情は楽しげで、目線で答えを求めていることぐらいは、彼でも気づけた。
 だから、
「……確かに彼の成長は早い。元々才能もあるようですが、真面目な性格なのでしょう」
 と、当たり障りのない答えを返す。
「そんな表面上の会話は求めていないわ。私が知りたいのは、貴方の計算結果と、所論が聞きたいの」
「……思った以上にやっかいな方だ」
 ジーニーはため息混じりに呟くと、
「詳しい話は、落ち着いてからにしませんか? 残念ながら僕はそれほど体力が豊かな方ではありませんから、走りながらの会話は厳しいです」
「——それもそうね」
 答える前の空白時間が気になってはいたが、ジーニーはあえてそれに気づかないふりをした。


 北側の階段を駆け登り、3階へ。そして南階段を目指して走り続ける。
 道中、何度かサシガシラやウエシヒルコが現れたが、正義に一瞬で討伐されてしまっていた。
「正義くん!」
 緊迫感のあるジーニーの声が後ろから飛んできて、正義は足を止めて振り返る。
「どうした?」
「エース級がいます」
 ジーニーは息を切らしながら端末を取り出し、立体映像を浮かべた。


 そこに浮かぶのは、魚人のような姿をした旧穢神だった。
 上半身は首や顔に相当する部位があるが、瞳や耳などの器官はない。触覚なのか角なのか、歪な突起が何本も何本も並んでいだけた。
 肩からは4本の腕が生えている。指には指かきと、二の腕からはヒレを生やしていた。背中には鋭い背びれを持ち、腰から下の下半身は長い尻尾となっており、2メートル以上の全長を持つ。

クラトリ  穢レベル2エース級、”座取リ(クラトリ)"。

 「座」は「座る場所」という意味だが、元々は「地滑りや土砂崩れの起こる場所」という意味も持つ。「取」は「洪水や津波で土地が崩壊を起こすこと」という意味を持っており、つまる所、水害によって土地を破壊する者、という意味でこの名がつけられていた。


「……」
 空中をふわふわと漂いながら、クラトリは正義に向き直った。首を横に大きく傾けて、滑稽そうな、不思議な動きを見せる。
 それから、首を左右に大きく倒す。ごき、と骨が鳴る音が聞こえたあたり、この旧穢神は人間に近しい骨格を持つのだろうと想像がついた。
「正義くんに覚醒してもらいましょう」
「異論はないわ」
 少し遅れて追いついたジーニーに、デイジーが答える。
「私は、正義の力が見たいの」
 聞いてもいないのに、自らの欲望を続けるデイジー。それにジーニーは何も答えず、
「キズナよ……」
 と、集中してキズナを放ち始めた。
「――!」
 キズナを受け取り、正義は周囲の空気が変わったことに気づく。ジーニーとデイジーのキズナを受けて、覚醒したのだ。
 右手を目の前に持ってきて、握って、また開く。自分がパワーアップしたことを、改めて確認するかのように。
「クラトリ……お前の相手は俺だ!」
 正義は叫びながら、飛び出した。
「はっ!」
 腰を屈めつつ刀を抜きながら、正面からの突き。クラトリはそれをひらりとかわしてみせる。
「——其の参、無一之剣」
 正義は腰を上げながら左手を添えて、立ち上がりつつ上段の構えで振りかぶる。それにクラトリは警戒して、下に潜り正義の右側へすり抜けようとする。
「……からの、無二之剣!」
 腰を落としつつ、構えた腕を上段から左下に引き寄せつつ、斜めに斬り下ろした。ちょうど脇をすり抜けようとしたクラトリを迎え撃つ。だが、クラトリは地面すれすれを滑空して、その速度より早くすり抜けてゆく。刃先がクラトリの角をかすめ、カキィンという金属音と、火花がぱっと弾けた。
「まだだ!」
 正義は反時計回りに体を翻す。左足を大きく開いて、だん、と力強く踏みつけつつ、横へと薙ぎ払った。刀の先端がすり抜けるクラトリの尻尾の先端をかすめる。ギャリイ、と、ざらついた鱗を撫でる嫌な音が響き、火花と紫煙が飛び散る。
「……」
 クラトリはそのまま3メートルほど離れ、旋回して正義に向き直ると、聞き取れない声で呻いた。
「……まだ」
 正義はそれを見据えながら、右手で刀を引きつつ、左手を反りに添えた。右手を顔の近くまで引き、左手がちょうど峰に届いた所で止め、剣先をクラトリに向けながら、睨みつける。
「正義!」
 友凛愛が覚醒と同時に、フォークとスプーンを巨大化させる。右手を振りかざすと、二本のそれはクラトリに向けて放たれる。
「……まだだ!」
 正義が低い体勢のままで前に飛んだ。クラトリは頭上からの二本と、正面からの突きに反応する。
(どう動く?)
 正義は集中を切らさず、飛び込む。
 突きならば、小さい動きで攻撃できる、あとは、左右、もしくは後ろ、どこへ逃げるかを見極めればいい……そう考えていた。

「!!」

 クラトリの動きは、どちらでもなかった。
 正面から飛び込む正義の動きに、クラトリもまた正面から飛び込んできたのだ。

 頭上から降り注ぐ2本の隙間をするりと潜り抜けながら、真っ正面から向かってくる。
「なにっ!?」
 想定外の動きに、正義の反応が遅れた。正面からのぶつかれば、尖った口や鋭い背びれがこちらを切り裂くのは分かりきっている。こちらの攻撃はひと突きのみ、どちらが割が合うかなど容易に想像できた。

 衝突まで、あと30センチ。
 できることも、残り時間も、ほんの少し。

「くそっ!」
 正義は右足を踏み出し、峰に添えた左手を左胸の前まで持ってくる。刃を外に向けながら、上半身を守る体勢。体を左側に逃がしつつ、クラトリの勢いを右にいなしてやる。
 ガギィィン、と激しい音が響く。クラトリの体は刃で滑り、突進の勢いは左に逸らされてゆく。すり抜けながら背びれやヒレが体に触れ、皮膚に浅い傷を残してゆく。

(まずい、刀が……!)
 日本刀はその鋭い切れ味を出すために、その剣身が非常に薄い。全力の突進などいなしていたら、すぐに折れてしまうことなど想像がつく。

「正義!」
 ぱっと飛び散る鮮血に、友凛愛の悲痛な声が響く中、クラトリは大きく離れる。上に跳ね上がりながらぐるりと旋回して、高さ3メートルほどの場所からこちらを見下ろしていた。
「お先に」
 デイジーが言うと、キズナが彼女に惹かれたかのように周囲に集まり始める。彼女は頭上のシルクハットを掴んで、その左手を真っ直ぐに伸ばした。上に向けられた口から白い光が溢れたかと思うと、そこから一気に光の帯が飛び出し、彼女の周囲に乱れ飛ぶ。
 そして、光と一緒に飛び出すたくさんのカードたち。それは規則よく円形に並び、彼女を囲むように浮いていた。
「覚醒完了、私のキズナスキルでサポートするわ。貴方たちの能力を引き出す領域を作る……"デイジーワールド"!」
 デイジーが持っていた杖を振りかざすと、正義と友凛愛に異変が起こる。二人を纏っていたオーラが、さらに勢いを増したのだ。
「!?」
「なにこれ……力が湧いてくる!」
 それにデイジーは、ふふっ、と不敵に微笑むと、
「さあ、貴方たちの力を見せてあげなさい」
 と、楽しそうに、だが冷静に彼女は言った。

(……体が、さらに軽く……!)
 正義は、刀の柄を握り直しながら、その力を実感する。

 ……単純に驚いた。
 まだまだ自分の能力が伸びる可能性は信じていたが、こうもたやすくそれを見せられるとは。

「……行くしかない」
 正義は言って友凛愛を振り返る。
「友凛愛、フォークとスプーンを奴に! さっきより高めに頼む!」
「! 分かった!」

 言うとほぼ同時に、正義が駆け出した。友凛愛も手を伸ばして、攻撃体勢に入る。
「刻んで、混ぜて、ぶっ倒しちゃえ! アシェ・アッシュ・オーバーランっ!!」
 オーラに包まれた二本が頭上に大きく打ち上げられる。頭上8メートルほどまで垂直上昇したかと思うと急転換し、真っ直ぐにクラトリ目指して発射された。
 クラトリはそれを見上げていたが、向かってくる正義に頭を向けてから、もう一度見上げた。

(……おそらく、あいつは……)
 正義は見抜き始めていた。クラトリがなぜ、正面からの飛び込んできたのかを。

(その場で”旋回できない"んだ)

 自然界には、そういった構造の生き物が多くいる。特に魚類は、尾ビレを持たない種はその場ですぐに旋回することができない。
 そのため、方向を変えるためには進みながら距離を稼ぐ必要があるのだ。

「だから必ず……」
 正義は腰を屈めつつ、右手を柄にかける。
 クラトリに友凛愛のフォークとスプーンが突き刺さると思った瞬間、クラトリが飛び出した。

 真っ正面に。

「来る!」

 正義の正面に向かって飛び出すクラトリ。先ほどと同じく、攻撃しつつすり抜けようとしているだろうことは予想がついた。
「その前に斬る……!」

 正義はクラトリと正面衝突をすることを恐れず、抜刀しつつ踏み出した。抜かれた刃は瞬時に目線の高さまで振り上げられ、クラトリは急に伸びた刃に対応できない。左肩が刀の先端に突き刺さり、突進の勢いが抑えられる。
 だがその速度は完全には殺せない。正義の体を後ろに押し出しつつ、クラトリは止まらなかった。

(もってくれ……!)

 右手に伝わる衝撃に、刀身がびきびきと不吉な音を立てる。あまりの勢いに、金属が悲鳴をあげているのだ。

 正義は立ち上がる勢いで左足を振り上げ、クラトリの右肩を踏みつけた。そこに重心を乗せて、後ろへと飛び退きながら刀を引き抜く。
「まだ!」
 両手で柄をしっかりと握り、刀先をその口に突っ込んだ。
「……ク……!」
 クラトリが口から嗚咽と紫煙を吐きながら、全身をびくびく震わせた。突進はほぼ止まっており、もうすぐ完全にその勢いを殺せる。
「まだだ!!」
 正義は左足に力を入れると、刀を引き抜きながら後ろへ飛ぶ。空中で刀を上段に構える。
「極意、青眼之太刀!!」
 速攻の刺突を顔面に突き刺してから、全力の振り下ろし。クラトリの後頭部に斬り込まれる。刃は頭部を切り裂き、それでもその勢いは止まらず、顎下まで一気に斬り抜けた。

 パキイィン——。

 クラトリが煙となり消滅を始めると同時に、金属音が響き渡った。
 カラァン、と力のない音が聞こえる。

 正義の刀は、根元30センチほどを残して、折れてしまっていた。

「! 正義……!」
「なんと……」
 折れた刃先を拾いながら、ジーニーがなんとも言えない呻きを漏らす。
「……折れた分は、俺の超能力で補う」
「そうね、物理的物体に頼らない戦い方も必要ね」
 正義の言葉にデイジーが冷静に答える。それに正義は振り返りながら、
「デイジー、やり方は分かるか?」
 と、声をかけた。それに彼女はにんまりと破顔してから、
「もちろん、簡単なことよ。実体はなくても、"そこにある"と信じればいいのよ」
「分かった。助かる」
 正義は答えながら、奥へ向かって走り出す。
「ちょっと、正義!」

(……もしかして)

 ジーニーは、そのやりとりを見ながら、ひとつの疑問を紐解こうとしていた。
 彼らのやりとりは、あまりにも簡素すぎる。
 少ない言葉でお互い理解しているというのは、つまり、彼らが何らかの共通点を持つ者同士であるということに違いないのだ。

(……正義くんは、初めての戦いで増幅器をつけずに戦い、覚醒した。同じことを成し得た人物に、心当たりがある——)


 ——伊集院財閥の跡取り候補、伊集院 雛菊(いじゅういん ひなぎく)。


 彼女は13年前の幼少時に旧穢神に襲われたことがあり、その事件が原因で伊集院財閥総帥がルキオラ・クルキアタを設立することを決意したらしいという話は、噂レベルで一般市民でも知っている。
 そして彼女は幼い頃から類稀なグロウリー適性が認められ、13歳の実戦デビューと同時に、増幅器をつけずに覚醒するという偉業を達成したという話を、ジーニーは聞いたことがあった。

(どれも曖昧な情報ばかりであてにはならないが……)

 彼の膨大な知識量をもっても、それぐらいしか有益な情報はないのが事実だ。
 だがもし、デイジー=伊集院雛菊なのであれば、彼女の行動理念は説明がつけやすい。
 後継候補として最近何かと目立つ正義とは接触しておきたいだろうし、彼の能力も気になるところだろう。
 そう、自らの正体を隠してでも。

「……努力では敵わない世界の住人、か……」
 ジーニーは思わず独りごちてから、正義たちの後を追いかけ始めた。


 南側の階段を駆け下り、2階へ降りる。
 降りた正面の通路は、辛うじて非常用の灯りがついていたが、全体的に薄暗い。左側には通路があるはずだが、完全に崩れてしまっていた。

 そして、通路の奥から感じる気配、僅かな足音、呻き声。旧穢神が居ることだけは、嫌という程に感じられた。
「敵はサシガシラ、ウエシヒルコ。エース級、ジョーカー級は認められません」
 ジーニーが言って、先頭を歩く正義と友凛愛が了承を返す。その後ろに、デイジーが続いていた。

「……遅いぞ、馬鹿者」

 不意に届く、太い男性の声。
 その声に友凛愛は思わず全身を強張らせてしまう。ジーニーとデイジーも、反応が遅れた。

「……あんたは」

 だが、正義だけは違った。
 いつも聞き慣れた声、知っている声。

 それに、怒りの声を発してしまっていた。

「なんでそんな無茶をするんだよ!!」

 正義の叫びに、暗がりに立つ人影が振り向く。
 ダブルのスーツに身を包み、その手には一本の日本刀を握った、中年男性だった。
 髪はオールバックで整えているが、前髪がぱらぱらとほつれているのが分かる。だが、その隙間から覗く眼光は鋭く、振り向きながら正義を睨みつけた。

 ……禰宜田 弥九郎。
 正義の実父である。
 彼の周囲は、サシガシラやウエシヒルコに囲まれていた。

「いくぞ!」
 正義は旧穢神の中に飛び込み、一気に畳み掛ける。
 それに友凛愛とジーニー、デイジーも加わり、ものの2分ほどで周囲の旧穢神は全滅した。


「……何事も、捨て置けない性分なのだ。逃げれば一生後悔するし、何より天国の御姫(みき)にも申し訳が立たん」
「いつもそうやって……」
 弥九郎の言葉に、正義は言葉に詰まる。

 ――彼の言うことは、正論だ。

 だが、全身ぼろぼろであちこちから血が滲みふらつく足元の父親の姿に、正義は反論する以外の選択肢が無い。

「逃げることの何が悪いんだ。目を逸らしてもいいじゃないか。なんであんたがそんな目に合う必要があるんだっ!!」
 その言葉に弥九郎は、ゆっくりと息を吸って、ゆっくりと吐く。
 充分な溜めを作ってから、弥九郎は口を開いた。
「……『自分はあの時逃げた』という記憶は、いざという時に躊躇いを生む。儂はそう有りたくないだけだ」
「そのために命を賭ける必要があるのかよっ!! 絶対に勝てない相手に立ち向かって!!! そんなにぼろぼろになって!!!!」
「……お前には、それだけの熱意を持てるものが無いのか?」
 まさかのカウンターに、正義は回答に詰まってしまった。

(違う。理屈は分かる。でも、そうじゃない)

 脳の防衛本能か、それとも適正か。とにかく正義は回答に詰まっていた。
 言っていることは、理屈では理解できるのだ。
 そして、彼のように有れたなら、どれほど良いかと。

 でも、自分はそうできない。
 そうだ。できないんだ。それだけなんだ。
 無いものねだりと圧倒的な敗北感が、正義の心を侵食し始める。

「……ああ。友凛愛ちゃんか。久しぶりだな」
 不意に気付いて、弥九郎が言った。
 若干呂律に支障があり、呼吸も荒い。話すことがどれほど重労働かは伝わってきたが、それを止めることはできなかった。
「! ……ご無沙汰してます!」
 不意に話を振られて、友凛愛は反射的に深々とお辞儀をする。
「確か……二人とも5歳ぐらいだったか? 友凛愛ちゃんのシャツが風に飛ばされて、それをお前が木に登って取ったことがあっただろう」
「!」
 正義は言葉を失う。突然の昔話に、思考を停止させられてしまった。
「あの時、お前は何度も落ちて怪我をしながらも、シャツを取ってあげていたな。あの時、自分が言った言葉を覚えているか?」
「……」
 弥九郎の紡ぐ言葉に正義は答えられない。
「傷だらけのお前が帰ってきて、儂と御姫はたいそう驚いた。あわてて理由を聞いたら、お前は言ったんだ」

(――だめだ。聞くな、耳を傾けるな――)
 正義の願いは届かず、弥九郎は言葉を続ける。


「『ぼくは、できることでみんなをたすけるんだ』――そう言った」


 パキィン、と何かが割れるような衝撃。
 弥九郎の言葉に、確かにその衝撃が耳の奥から聞こえた気がした。
 正義の体はふらりと力を失い、両の膝が地面に落ちる。反射的に両手を地面に叩きつけ、かろうじて完全に倒れることは避けられたが、全身を覆う虚脱感には抗えない。
 全身をすりガラスで包まれたように、外からの刺激は何も届かない。見えない。聞こえない。


「お前は、あの時と同じか? それとも、違うのか?」
 弥九郎は言って、直後大きく咳き込み、右膝をどっと地面につく。
「! おじさん!」
 思わず友凛愛が駆け寄り、肩を貸そうとする。だが弥九郎はかぶりを大きく振ってそれを拒むと、口角からしたたる血液を手の甲で拭った。
 だが、拭う手も血液に覆われている。血を拭うつもりが、口まわりを血だらけにしてしまっていることに、弥九郎は気づかない。
 彼の全身は、すでに血が滲んでいない箇所を探す方が難しい状態だった。
「……お前たちは、本当に強い相手と戦っているんだな。旧穢神など眉唾と思っていたが……」
 弥九郎が自分の体を見下ろして、それから友凛愛に視線を向ける。微笑もうとしているのだろうが、顔の筋肉がうまく動かない。ぎこちない笑顔だけが浮かぶ。
「この剣が通じない相手がいるとはな……ふふ……」
「おじさん! もう喋っちゃダメ!」
 友凛愛が大粒の涙をこぼしながら、痛々しい叫びをあげる。だが弥九郎は、それには応えず、
「あんなに小さかった正義が、そして友凛愛ちゃんが、あんな恐ろしい相手と戦っているとは……な」
「おじさん……」


 ――そうだ。
 私たち、戦っているんだ。

 友凛愛は薄ぼんやりと、脳内を巡る様々な想いの海に漂っていた。
(確かに私達、強くなった。でも、どこか……)
 ゆっくりと息を吸って、それから吐いて。

「真剣味がなかったのかも……しれない……」
 眼の前にいる弥九郎を見ながら、友凛愛は絞るような声で呟く。


 そうだ。
 これは戦いなんだ。
 生きるための。

 これは戦いなんだ。
 生かすための。


 そして、戦いは――。


 ――人が「死ぬ」んだ。


「う――」
 屈み込んだままの正義が呻いた。
 怒りなのか、哀しみなのか。どちらとも取れる呻きだった。
「正義、聞こえているな? いいか、武道とは『心の道』を鍛えるためのものと心得よ。そして、上手く伝えられなかった事を謝らせてくれ」
「……そんな、ことは……どうでも……いい!」
 正義はなんとか言葉を捻り出す。
「俺は……父さんとは、違うかもしれない。でも……自分なりの道を貫く! そう決めた!!」
「……」
 その言葉に弥九郎は何も返さなかった。
 ただ、少し寂しそうに、そして、少し嬉しそうに。
 そっと瞳を閉じてから、両方の口角を少し上げた。
「……仲間たちの……お陰か。……いい顔になった」
 弥九郎は顔を上げて正義の方を振り返る……が、その視線の方向は明らかに正義を見れていない。すでに視界が失われかけていた。
「正義。お前が強くなったことを、私は世界で一番喜んでいる。そして、御姫も……」
 倒れかける体を、思わず友凛愛が支えにかかる。壮絶な状況に動けなかったジーニーも駆け寄って、反対側から支えた。
 抱える手を、ぬるりとした生暖かったものが伝ってゆくのが分かる。おびただしい量の、それが。

「……ああ、御姫……お前に会いたい。ありがとう、儂は――」


 ——。


「御姫……よく産んでくれた。本当にありがとう」
 ベッドに横たわった御姫は、多量の汗と荒い吐息のまま、震える両手で赤子を抱いていた。
 弥九郎も駆け寄り、その顔を覗き込む。
 産まれたままの赤子は、静かに呼吸をしていた。この世界に産まれたことを、その奇跡をただ、享受しているかのように。
「元気な男の子よ。……前から相談していた名前、つけていい?」
「もちろん。異論はない」
 弥九郎の言葉に御姫は微笑みを返し、
「正義、と書いて『まさよし』。この子は、自分の信じる道を進んで、みんなを助けてあげられる子になるの」
「ああ。己の信念を信じられる子になって欲しいな」
 二人は見つめながら、幸せな笑みを送り合う……。


 ——。


 友凛愛とジーニーにかかる体重が、ぐん、と一気に重くのしかかる。
 弥九郎の巨体は、二人に体重を預けたまま、首を重量に従って垂れていた。

「まさか……」
「正義! おじさんが! おじさんがっ!!」
 友凛愛の声に、屈み込んだままの正義が、びくっ、と震える。
 それから頭を抱え込んだような姿勢のままで、拳をがつん、と地面に叩きつけた。
「父さん……」
 魂の抜けたような正義の呟き。乾いた声は機械的に吐き出されたようで、未完成な合成音声のようにさえ聞こえる。

「……まずいかもしれないわ」
 不意に、デイジーが言った。
「……?」
 その言葉の意味が分からず、友凛愛とジーニーはきょとんとした顔で彼女を見上げる。
「友凛愛は正義を! ジーニーはこっち!」
 デイジーはジーニーに駆け寄りながら手を伸ばし、わけも分からず握り返ったジーニーを全力で引き寄せる。ジーニーの肩から弥九郎が滑り落ちることを、気にしている余裕はなかった。
 友凛愛も意味は分からなかったが、正義に駆け寄って強引に起こすと、力任せに奥の方へとひきずった。

 ゴゴゴ……。
 僅かな振動が響く。
 軽い地震でも起こったのか……と思った瞬間。

 ドォンッ!!
 と、激しい音が全てを包み込む。

「!?」
 一瞬、地面が一気に沈み込んだと錯覚した。巨大な直下型地震の震源なのかと思えるほど、地面が揺れた。
 建物全体がぎしぎしと音を立て、ひび割れた壁や天井からぱらぱらと欠片が落ちる。
 奥の水槽にヒビが走ったかと思うと、がしゃぁん、と派手に壊れ、通路に大量の水が流れ込む。

 そして、すぐに何も無かったかのように収まると――眼前には、謎の光景が広がっていた。

「紫色の……結晶?」

 少し黒ずんだ、紫色の結晶。それが、通路を覆っていた。
 生えた、とでも形容するのが良いのだろうか。地面や壁、それから天井から出現し、1〜3メートルはある結晶が通路を覆っていた。
「これは……『穢のカケラ』? いや、カケラと呼ぶには大きすぎる。『穢の結晶』とでも呼ぶべきか……」
「まさか……?」
 現状を分析できないジーニーと、明らかに予想外という表情のデイジー。
 彼らは周囲を見回しながら、身動きが取れずにいた。

「ぷはーっ! 正義、大丈夫!? 息してる!?」
 割れた水槽の近くにいた友凛愛と正義は、その水流をもろに浴びてしまっていた。通路に満たされつつある水に突っ込んだ正義を、友凛愛は両手で引き上げる。
「あ、ああ……なんとか……」
「……」
 こちらに視線を向けもせず言う正義。だが、付き合いの長い友凛愛にとっては、こんなの慣れっこだ。
「……正義、自分を責めないでね」
「!」
「私は、正義の痛さは分からない。悩みも分からない。でも、励ますことはいくらでもできるから……」
 思わず振り返った正義に、友凛愛は言葉を続ける。
「……私ね、ちょっと反省した。戦いを甘く見てた。これからは、もっと真面目になる。一人でも、これ以上悲しむ人を生み出さないように」
「……ああ……そうだな……」
 正義はゆっくりと立ち上がり、振り返る。
 ジーニーとデイジーが何やら神妙な顔つきで話し合っているのが見える。
 通路は紫の結晶に覆われてしまっており、侵入した時とはまるで様子が違ってしまっていた。

「父さん……?」
 先程まで倒れていた弥九郎は、紫の結晶に覆われてしまっていた。刀で斬りかかってみるが、まったく砕ける気がしない。
 一体何でできているのだろう?
 そして、一体何が起こっているのだろう――?
「気持ちは分かるけど、今の私たちはこれを破壊する術を持たないわ」
 デイジーが歩み寄りながら言う。
「だから今は」
 言って彼女は、地面に手を伸ばして何かを掴むと、正義に突き出した。

 それは一本の刀。先程まで弥九郎が握っていた、愛刀だ。
 子供の時、いたずらで触れて、ひどく叱られた記憶が正義に蘇る。

「あなたが受け継ぐべき物だわ」
「……ああ」
 正義は静かに呟いて、刀を受け取った。
「そして、こんな時に悪いのだけど——」
 デイジーが言うとほぼ同時に、正義と友凛愛とジーニーの端末にコールが入る。

「みんな! 展望台に来てっ!」
 勢いよく飛び出してくるのは、明日華のよく通る声だ。
「こちら、港の展望台です。旧穢神の襲撃を受けていますので、救援を」
 冷静に言うのは蔓だ。
「あ、ちなみに明日華は元気になったからな! 早く来いよ!」
 最後にジャンが勢い良く言うと、回線は一方的に切断された。

「なんだ……今度は西の方へ飛ばなきゃいけないのか」
「でも、行くしかないじゃん」
「友凛愛くんの言う通りです……で、デイジーは?」
 不意の質問に、彼女は意外そうな顔で答える。
「残念ながら、やることがあるの……そう、私たちの寿命は短いわ。それこそまさしく『螢』のように。――では、また会いましょう」
 言って踵を返すと、デイジーは肩越しに手をひらひらと振りながら、立ち去ってしまった。

「……とにかく、ヘリに乗りましょう」
 3人は一瞬呆然としていたが、ジーニーの言葉に我に返って頷く。
 それから、出口を目指して走り出した。

(父さん……僕はできることをやり続ける――)

 正義は、決意をしながら走り出した……。

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